笹祝酒造の創業は明治32年。当初は“笹口醸造場”と称していました。所在地:新潟市西蒲区松野尾(旧松野尾村)は、旧北国街道の交通の要所となっておりました。
初代蔵元・笹口岱作の妻マカは“おマカ茶屋”を経営していましたが、茶屋では酒が飛ぶように売れていたと言う。そこで宮大工をしており、酒造技術も取得していた岱作は、酒造業を営むようになったといいます。
岱作夫婦は子宝に恵まれず、二代目友作を養子に迎えました。酒造業を早めに二代目にまかせた岱作は、趣味である絵を書いたり、地域の地図を作成したりして、悠々自適の暮らしをしていたようです。
二代目・友作は、若きより酒造業に打ち込む他、味噌・醤油の醸造、漬物の製造、材木商い、養豚等を行い、才覚を発揮し財を成しました。
三代目・浩一郎は、早稲田大学で学び、家業を継ぎ、新潟県酒造組合の理事として、又、巻支部長として活躍をしておりました。特に戦後の混乱期にあって大きな苦労をしたようです。
四代目・ナカは、夫の浩一郎が50歳で早世した為、社長に就任し、永年に渡り会社発展の為に貢献して来ました。
五代目蔵元・笹口孝明は、昭和45年、明治大学を卒業するとすぐに家業に入り、専務取締役として活躍していました。地域の歴史や環境問題に興味を持っていましたが、地元巻町で原発建設問題が起きた為、巻原発建設の可否をめぐって、住民投票運動を起し、「巻原発・住民投票を実行する会」の代表となり、“自主管理の住民投票”を実行し、その後、巻町長を二期勤めました。
その間に、“全国初の住民投票”を行い、住民意思が原発ノーであった為、巻原発建設計画の白紙撤回に向けて尽力し、最後に計画の完全中止を確認した後、平成16年1月、巻町長を退任し、笹祝酒造に戻り、平成16年5月社長に就任しました。(笹祝酒造ホームページより抜粋)
越後一の宮「弥彦神社」のある霊峰弥彦山に広がる日本一の穀倉地帯、蒲原平野の中で酒造りをしている蔵元です。
地元旧巻町を中心とする地域で 最も愛飲されている地酒中の地酒です。その理由は、親、子、孫と何代にも渡って飲み継がれているからです。本当に根強い人気を保っています。
現在代表取締役でもある、笹口孝明氏のこだわりをお聞きすると、“美味しい酒を造る一番大切なことは、蔵元(経営者)の物の考え方、可能な限り良い原料を手に入れる努力をしたり、良いお酒を造る為の環境整備に心がけたり、利益優先ではなくお客様優先で良質な製品にしようと心がけること”この考え方が笹祝酒造のお酒の味に現れていると思います。
しかし、笹口氏曰く「私達伝統産業は常に創意工夫をし、研究成果を取り入れることによって、新しく甦らなければなりません という変化も受け入れる事も必要」という考えも併せ持っている笹祝酒造にこれからも期待しています。